わ紅茶・満月紅茶

わ紅茶商品写真

最近,日本国内で,和紅茶,国産紅茶,地紅茶とよばれる紅茶が生産・販売され,人気を伸ばしています。色が赤く,味わいに渋みを持つ伝統的な紅茶に近いものから,苦味・渋みが少なく,ほのかに甘いものまで様々あります。紅茶の原料となる茶葉は,緑茶と同じチャの樹からとれる茶葉で作られますが,チャの樹の種類が紅茶に適した樹種として選ばれたものが使われてきました。一方,日本国内で生産される紅茶は,緑茶用の樹種を使ったものが多く,宮ザキ園でも,わ紅茶に,緑茶用に栽培してきたチャの樹の茶葉を使用しております。

三河わ紅茶

わ紅茶商品写真宮ザキ園が位置する愛知県岡崎市旧額田町,ここには,古くから信仰の対象となってきた本宮山があります。この本宮山には茶の木が自生し,当地での茶の栽培・加工が盛んとなる礎となりました。

宮ザキ園では,本宮山山麓で採取した在来品種,「本宮」の茶の木を自園で代々栽培してきました。三河わ紅茶は,150年以上経過した本宮の茶葉を摘み取り,丁寧に仕立てた,国産の紅茶です。

海外産の紅茶と異なり,渋みや苦みが少なく,独特の風味と甘い後味が特徴です。洋菓子にはもちろんの事、和菓子、和食などやわらかな甘みにも合う,やさしい味わいです。

三河わ紅茶 桐箱入り

わ紅茶 贈答用(桐箱詰め合わせ)
わ紅茶 贈答用(桐箱詰め合わせ)

三河わ紅茶は,高級飲食店,旅館,百貨店などでご好評をいただいております。桐箱に入った贈答用のパッケージも用意致しております。


満月紅茶

「満月茶」パッケージ

満月の夜,宮ザキ園の茶園でていねいに収穫した茶葉を使い,やさしい味わいの紅茶に仕立てました。

月の動きは潮の満ち干きを生み出します。満ち干きは,月の引力と地球のまわりを回転することによって生み出されますが,場所によっては潮の満ち引きの高さの差が十メートル以上になるところもあるなど,月は大きな力を持っています。満月の夜,月と太陽と地球とは,一直線に並び,月によって潮が起こされる力と太陽によって潮が起こされる力とが重り合うため,地球上のあらゆるものにはたらいている天空へと引かれる力が大きくなります。海ではそれゆえ,満月の夜,海や大きな湖の水が上の方へと引かれ,高低差が大きい大潮(おおしお)となります。お茶の木も,そんな満月の晩,精一杯,地面から生命の源となる水と土の栄養を吸い上げ,特別な茶となるといわれています。

この満月紅茶は,宮ザキ園が位置する岡崎市の市制百周年を機に,開発いたしました。

明治時代,海外に開かれた日本では,農産物の輸出が盛んに行われました。各地に農学校が作られ,優秀な人材が続々と農業に集まり,世界にその産物を送り届けていたのです。宮ザキ園が位置する愛知県でも盛んに茶の栽培・生産が行われており,愛知県の東部に位置する豊橋市は,お茶の輸出基地となっていました。輸出されるお茶は,日本独特の日本緑茶・煎茶ばかりでなく,富裕階級に好まれた紅茶も含まれていました。宮ザキ園の4代目当主,梅村秋治も,紅茶の生産・販売に関わっておりました。

5代目の梅村芳正が当主を引き継いだ時代,日本は高度経済成長につきすすみます。芳正は,日本を代表する農産物を扱う商社に奉職し,世界の紅茶原料を長く扱ってきました。原料調達のプロとして,世界各地の農園を訪れ,その栽培,加工の管理指導,支援を行ってきたのです。

6代目の篤志は,家業の茶の栽培・加工を継ぐべく,県内の農業系の高校に進み,更に国の茶業研究機関である茶業試験場(現・農研機構野菜茶業研究所)に研修生として修行に出ました。研修は二年間に渡り,茶業に関わる学業,実習を行う場所で,ここでの篤志の卒業論文は,紅茶づくりでした。

実家に戻ってきた篤志は,家業「宮崎園」の経営を任されることになりました。宮崎園は産地問屋,即ち茶の産地に位置し,茶の栽培や荒茶への加工を行い,各地の茶問屋などに卸売り販売する商売を代々行ってきましたが,篤志が継いだ頃,すでに時代の大きな変化に飲みこまれつつありました。緑茶のペットボトル商品が増え,茶葉が,安く,大量に大手飲料メーカーに買い付けられるいっぽうで,家庭での緑茶離れが進んでいたのです。卸売り市場での茶葉価格が年々下がる中,新しい時代のお茶がどうあるべきか,考え抜いた結論は,自ら新しい商品を開発し,新しい販路として消費者に直接販売を行う,総合化経営でした。

しこう茶パッケージ
しこう茶

その手始めとして,篤志は緑茶にハーブをまぜた,ハーブ緑茶商品を開発します。近郊にある合格祈願で有名な神社と協力し,「合格茶」「しこう茶」を開発しました。これの商品開発では,依頼元である神社や近隣の寺院,知人のデザイナーなどの協力を得て,初めてオリジナルの商品,オリジナルのパッケージを開発,使用しました。屋号として「宮ザキ園」を名乗り始めたのもこの頃です。単にお茶の原料を大手小売店や商社に納めるのではなく,農園が自立して自ら商品を企画し,そのために必要な原料や資材を手配し,自ら販売する,農業経営の道をしっかりと歩み始めました。

201601食の発掘商談会にて
201601食の発掘商談会にて

「しこう茶」などの開発で得た商品開発・販売のノウハウを更に生かすため,篤志は並行して紅茶商品の開発に取り組んでいました。茶業試験場での修行で得た紅茶づくりのノウハウを活かし,自園が栽培してきたものの生産性が低い,品質が安定しないなどといわれてきた在来種「本宮」の茶葉のみを使用することでオリジナリティややさしい味を引き出した商品を仕立て上げていきます。この頃,たまたま商工会の支援相談会で出会った6次産業化プランナーにも勧められ,篤志は「わ紅茶」の本格的生産・販売に進んでいきます。国が進める総合化事業(6次産業化)の認定も得て,宮ザキ園の名前が次第に,岡崎市に位置する茶農家・産地問屋というイメージから,ハーブ緑茶や紅茶という新商品を自ら消費者に販売する,挑戦心あふれる若手経営者が経営する茶園へと変わっていきました。6次産業化の認定をきっかけに,国内外各地の商談会にも積極的に参加するようになり,メディアでも取り上げられ,宮ザキ園は「わ紅茶」とともに,大きく変貌しつつあります。

保存保存

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