額田の自然
山里 額田 宮崎
宮ザキ園は,愛知県岡崎市の旧額田町宮崎地区にあります。この地区のお茶は,明治から昭和にかけては、
“宇治茶”, “川根茶”とならぶ全国の三大銘茶の一つ,“宮崎茶”として重んじられてきました。
宮崎地区は,三河地方の中山間地に位置し,本宮山を発し,三河湾へと注ぐ男川の源流近くに位置し,
清らかな水と,谷を吹く風に恵まれております。
このため,この界隈は,400 年程前から茶の栽培・加工を受け継いでいる歴史ある地区です。
この界隈は農民や武士の健康管理の為にお茶栽培を徳川家康公が推奨しており,
年貢は米の代わりにお茶を納めていたと文献に記されていおります。
額田 宮崎地区の
自然環境と宮崎茶nature
岡崎市旧額田町は,愛知県東部,名古屋市から南東に約45km離れたところに位置しています。
町の面積は約160. 27k㎡で, そのうち8割以上が山林,残りは田畑ですが,畑地では茶や花き,園芸作物などが栽培されています。
お茶の主産地,旧額田町・宮崎地区は,町に流れる多くの河川によって谷底平野が形成され,
地区の集落地や茶畑を囲む山はとても急な斜面になっており,年間を通じて昼夜の寒暖の差が激しい地域です。
昼間の気温が30℃を超すような夏の暑い日も,夜は涼しく,また,冬は西からの冷たい風が吹くので,寒い日が多くなります。
この温度差や,周囲の山谷,沢の水が濃い霧を生み,日差しを遮り,茶作りに適した自然環境を整えています。
お茶の樹は,この霧からの天然の葉面散布で,親葉から養分を吸収します。
豊潤なお茶の香りやまろやかな味を引き出す為には,この宮崎の厳しい自然環境が必要不可欠な要素なのです。
また,宮崎地区の土質は,茶の味を深みとコクのあるものに育ててくれます。
お寺の多い宮崎地区と
宮崎茶nature
旧額田町には,平安時代につくられた仏像を祀る庚申堂があるほか,宮崎地区には,禅宗を中心に,11ものお寺があります。
仏教とお茶は,密接な関係があり,宮崎地区でお茶づくりが栄えたことと,お寺が多いことは,無縁ではありません。
明治・大正時代にかけては,宮崎地区では炭作りが盛んになります。
文献では,1戸あたり500kg以上も生産していたとのことで,なかには茶道で使われるような炭も生産されていたのかもしれません。
1879(明治12)年の当時の愛知新聞には,「宮崎に茶あり,木下村にコンニャクイモの名産あり。」と題された記事が掲載されていたとのことで,この頃には宮崎のお茶づくりはかなり知名度があったことがわかります。
このように,旧額田町 宮崎地区には,お茶作りに適した恵まれた自然やお茶にまつわる沢山の文化・歴史があり,これらが生かされ,数百年に亘る先人達の試行錯誤の積み重ねと技術となってお茶づくりが受け継がれ、現在の宮崎茶につながります。